2013年8月20日火曜日

エジプト情勢

明日からしばらく中国に調査に出かけるため、しばらく更新ができないかと思います。

そんな中、このニュースに衝撃です。


モルシ支持者はイスラム原理主義者のグループで、
つまりは偶像崇拝を強く否定している人たちです。
古代エジプト教の神像や人物像もすべて「見てはいけないもの」なので、
イスラムを信仰している普通のエジプト人は博物館なんか行かないのだと聞きました。
(当然、古代エジプト教も異教ですし)

バーミヤンの巨大石佛も爆破されましたが、
同じことがエジプトで起きてしまうのではないかと心配していたのですが、残念です。
この、宗教に基づく価値観の相違の溝はどうにも埋めることができません。

フセイン政権崩壊後、やはりイラクの国立博物館に略奪が入りましたが、
その一部はイギリスに流れていたそうです。
石の修復をやっている知り合いが某所から修理依頼を受け、
下見に行ったら明らかにそれらしき品だらけだったので、断ったと言っていました。
でも転売されるのは、完全に破壊されるよりはるかにましなのかもしれません。

エジプトには郊外の遺跡の近くに博物館が作られているケースが多いので、
警備も大変だと思います。
ツタンカーメン関係遺物を所蔵するカイロ博
はデモ隊が集結していた広場に面した街中にあり、
前回の暴動時にもかなりヒヤヒヤさせられましたが、
これが他の場所に広がらないことを祈るばかりです。

2013年8月19日月曜日

丹後モダン

何年か前、大友克洋の「スチームボーイ」という映画がテレビで放送された時
最初の方をちらっと見ました。
イギリスの織物工場だったのですが、
織機が何台も並ぶ巨大な工場の中でみんなが普通に会話していて、
えええ?と思いました。

私が小学生の頃、祖母が働いていた紡績工場を辞める時に
なぜか私も工場について行ったのですが
とにかく音がうるさくて、工場内では人の話なんか何も聞こえなかったということが
今も強く印象に残っているのです。

さて、昨年秋に、友人に丹後ちりめんの機屋さんに連れて行ってもらいました。
丹後ちりめんという名前はもちろん聞いたことはありましたが、
作っているところに行くのは初めてでした。
着物産業は全国的にかなりの危機的状況だと聞いていますが、
丹後でも、あちこちにあった工場が今ではわずかに残るだけだそうです。

まずはそのうちの一件、オーダーでちりめんを織られている
「織元こばやし」さんです。

ジャカード織機を使って、模様入りの白い縮緬を織られています。

ちなみに、「ジャカード」は、「ジャガード」ではなく、
フランス人のJoseph Marie Jacquardさんが1801年に開発したことでついた名前で、
本来なら「ジャカール」と読むべきなんですよね。

こちらでお使いの機械も現在では製造されていないため、
社長自らがメンテナンスしながら使っておられるとのことです。

 どれだけ音がするか、動画をアップしましたのでご覧下さい。

ジャカード織りの模様は、このパンチカードを使って縦糸を操作して作られます。
もちろん、どれだけの数の素晴らしいパターンを持っているかというのが
その工場の財産なのですが、
今では中国などにどんどん真似されてしまうので、なかなか大変だそうです。

さて、次に行ったのが、ちりめん用の糸を作る、高美機業場さんです。

ちりめんを作るには、S撚、Z撚の2種類の糸が必要になります。
これは、糸が撚られる方向、いわゆる右巻、左巻とでも言えばわかりやすいでしょうか?
この2種の糸を組み合わせることで、独特のシボが生まれるわけです。

こちらの工場では、八丁撚糸機という、水を使った強燃機を使っての
撚りをされています。
これが八丁撚糸機です。

糸は、S撚、Z撚で色別けされています。
今ついている色は後で落ちます。

水を使って撚った糸をベランダで乾燥中。

 綛に巻き取って
2種の糸を使ってちりめんが織られています。

着物だけではなかなか売れないため、皆さんは新商品をいろいろ工夫されています。
この工場では、ちりめんの風呂敷や小物も作られています。

そして、案内をしてくれた友人は、こんなことをやっている人なのです。

ちりめんリボン京丹後
どこかで見かけたらよろしくお願いします。

2013年8月18日日曜日

日本の雑貨店

何年か前に八王子の商店街で見かけたお店です。
店頭にざるや籠など、なつかしい竹や藁製品が並んでいました。
今ではこういうお店も珍しいので写真を撮らせて頂きました。

普通のざるなど、日本で作られているものはもう少ないのかもしれませんが、
値段とその作り方を見るとやはり違いがわかります。
しかし、魚籠のようなものも今では中国で作っているのでしょうか?

そして、たわしアート!

背中で靴の泥を落とせるという実用品だそうです。
亀はたまに見かけることがありますが、フクロウは珍しいですね。

鰻を捕まえる魚籠に、背負子用の肩紐、
そしてわらじ。

わらじは履き方を教えて下さいました。
靴下をはいているとちょっとわかりづらいかな。

江戸時代までの日本では馬にもわらじを履かせていて、
街道筋の農民の子供は、旅人が捨てていくわらじを集めて
畑の肥料や、馬や牛の餌にしていたというような話を読んだことがあります。
素晴らしいリサイクルだなと思いました。

2013年8月17日土曜日

戦時の本染


終戦記念日が過ぎたところで、こんな本をご紹介してみます。

上村六郎著の「戦時の本染」(左:昭和19年)と、「野草の染色」(右:昭和20年)です。

この2冊の内容はほぼ同じなのですが、お察しの通り、間に終戦を挟んでいます。
ですので、後者はタイトルだけでなく、
本文中の「戦時」が「非常時」と変更されています。

内容は、とにかく身の回りの材料を有効活用して染めを行うというものですが、
もちろん、派手な色はご法度な時代です。
色見本として貼られているのは玉ねぎ、栗で染められた、
いわゆる「国防色」を基本とするものです。

玉ねぎの皮の鉄媒染

栗の葉の鉄媒染

栗の葉の鉄媒染の上に石灰媒染

(左が「野草の~」右が「戦時の~」の色見本ページ)

どれも草木の美しさよりも当時の世相を映し出しているようで、
きれいに染め上がったとしてもうれしくなるような色ではありません。
もちろん、当時はそんな色を染めていたら非国民と言われたのでしょうし。

あと、個人的には鉄媒染は繊維を痛めるので、極力使いたくない材料です。
江戸時代以前の染織品の調査をすると、
必ずといっていい程、箱の中に細かい粉があります。
その多くが鉄媒染で劣化して粉になった黒や褐色の糸でした。
黒の輪郭線だった糸がなくなり、寝ぼけたような柄になった着物や、
クシャミをしたら全部が粉になって飛んで行ってしまうような
絹の袋も何枚か見ました。
それ以来、鉄媒染は怖くてできません。

著者のステートメントもなんとも息苦しいものです。


使い方によってはこういった色もきれいに見えるのでしょうが。

しかし「戦時の本染」の表紙(和紙に手刷り)と、見出しページの図案は、
内容を考えなければとても美しいものです。


逆に、終戦後の「野草の染色」は、物資も乏しい中でやりくりしたのか、
表紙も地味なのですけれど、さすが和紙についても詳しい上村氏のこだわりで、
苦心して部分部分に何種類かの和紙を使われておられます。

とにかく、着る人使う人が嬉しい染めができる世の中が続くことを願うばかりです。

2013年8月14日水曜日

車からナイフ

この夏、日本はカイロよりずっと暑いらしいですね。
カイロ在住20年以上の日本人の方も、
カイロより日本の方がずっと暑いとおっしゃっていました。
しかし、エジプト情勢はまだまだ落ち着かなさそうで心配です。

ところで、ロンドンに住んでいた頃、
イギリスには良く切れる刃物がないなあと愚痴をこぼしていたら、
靴屋の職人をしていた友達が、
自動車の板バネで良く切れる刃物ができるという話をしてくれました。
結局イギリスではそのバネをどこで入手するのかもわからないまま帰国。
しかし、カイロでは、やたらあちこちに車の修理屋を見かけました。
ある日、唖然とするような車パーツ販売街のような場所を
仕事の移動中の車内から偶然発見、
休みの日に徒歩で探索を試みました。

場所は、カイロとザマレク島を繋ぐ5月15日橋の高架になっているところの裏手です。
おそらく数百件の小さいパーツ屋が集結しています。
エジプトでは何故か、同じ種類の店が隣同士で並んでいるのが普通なのですが、
とにかく、このすごさは写真を並べるだけではとても伝わらないのが残念です。














とにかく、これでもかというくらいの数の車パーツの店が軒を連ねています。
しかし、どの店もマフラーならマフラー、
シリンダーならシリンダーのように、
ある特定の種類のパーツだけを扱っているようです。
日本人がこんな場所にいるのは珍しいのでみんながじろじろ見ますが、
英語が通じる人がほとんどいません。

とにかく「Car spring」がないかを聞いて回っていたところ、
たまたま英語ができるおじさんが話しかけてきました。
「何に使うのか?」と言われ、ナイフを作りたいと言ったところ、
自分も以前買ったことがあるというお店に連れて行ってくれました。
建物の一階に複数の小さいお店が集まった奥で、
これは一人で探していても絶対に見つからなかったなという場所でした。

ありました、ありました。
しかし、大きすぎ!!
トラックやバスに使われていたものですから、当然と言えば当然ですが。。。

何本ナイフを作るんだと言われ、一本でいいと言ったら、
一番小さいの(それでも50cmくらい)を探し出してくれました。
20エジプトポンド(当時約400円)でした。

さて、ここからが問題です。
「おまえはどうやってこれからナイフを作るつもりなんだ?」と。
確かに、切る道具がない以前に、車の板バネは微妙に反っています。

実はこの英語ができるおじさんは、元お医者さんで、
趣味でボートとか手作りしちゃうといい、
何なら自分は道具を持っているから作ってあげよう、
今日は車を大通りに待たせていて急いでいるので
自分が持って帰って加工しておくから、
後でここに連絡しろと電話番号をくれました。

3日後、指示された場所に行くと、外にボートが置いてある家がありました。
一本の板バネから、既にこれだけ作ってありました。
しかし、まだ加工が途中だからと、見せるだけで渡してくれません。
どんな道具を使ったのかと見せてもらうと、なんとディスクグラインダーがたった一つ。
これで全部加工したというのだから驚きです。

で、結局、このおじさんは離婚して寂しく、話相手が欲しかったらしく、
延々と自分の身の上話をし始めてなかなか帰れません。
私も外に車を待たせていた関係で、なんとか1時間くらいで切り上げ
また来るからとその日は帰りました。
この時点で帰国までにあと5日だったので、その旨も伝えていたので、
帰国前々日に再度連絡が入り、一本できたからということで受け取りました。
お礼に、日本から持って来ていたお土産用の品をあげました。
残りのナイフは結局もらえませんでしたが、
逆に加工賃の方が高くついてしまったようです。

さて、おじさんに作ってもらったたった1本のナイフがこれです。
日本の砥石で研ぐにはちょっと固すぎますが、十分に切れます。
板バネに穴があった部分が凹んでいて、
表面はディスクグラインダーの跡がついていますが、
おじさんの苦労の跡がしのばれる感じです。

余談ですが、エジプトでは廃タイヤで作られたバケツをあちこちで見かけました。
ここに売っているお店がありました。

2013年8月13日火曜日

連鎖的作業

事の発端は、うちの裏にいるおばちゃんが、
父に、まな板を削って直して欲しいと頼んできたことです。
おばちゃんのご主人は、木工の道具とかほとんど持っていないそうで、
うちの畑で取れたキュウリをお裾分けに行った時に頼まれたらしく、
最初は自分の鉋で、必死に削っていましたが、
あまりにも長い間直していなかったらしく、
両面とも見事にえぐれていました。

さんざん削って刃が切れなくなったから、砥石と研ぎ台を貸せと
父がやってきました。
「刃がへこんでいる」と言うので、粗めの砥石を貸したのですが、
へこんでいるへこんでいるとうるさいので見てみたら、
凹んでいるのでなく、呆れる程裏切れしていました。

こんな状態じゃいくら研いでも切れないから、
裏出し(裏押し)しないと駄目だと、刃を取り上げ、
きっと台もめちゃくちゃだろうから、
台も持って来るように言ったら、案の定、台も狂いまくりでした。
さすがに初心者に裏出しは任せられないので、
台直しの方を父にやらせ、こちらは刃の裏出しをやっていたら、
母親がお盆の買い物に連れて行ってくれと父を連れ出し、
結局私が両方をやる羽目になりました。

直し前の写真など撮影している暇がなかったので(父も傍にいましたから)
途中の写真です。
裏出しに使うのは、金床と刃鎚です。
この上で裏切れしている刃の表の、軟鉄部分から叩きます。

刃鎚の、このぎざぎざ部分を使って刃表から叩きます。
平らになっている逆面を使う方もおられますが、刃の上を滑りやすく、
滑って鋼を叩いては元も子もないので、私はこちらを使っています。
叩く時は刃をしっかり押さえていなければならないので、
作業中の写真はさすがに自分一人では撮れません(笑)

この真ん中の直線部分が裏切れを起こしていた箇所です。
左右は既にベタ裏ですが、これを直していたらきりがないので、
真ん中だけをさんざん叩いてなんとか中央だけ糸裏に近い状態まで戻しました。
(金板上での磨きはまだです)
裏も結構錆が出ているので、糸裏にしても錆で裏切れしてしまいそうです。

鉋台は、とにかくまず平らに直すところからでしたが、
今まで台を直すのはコンクリートの上でこすっただけ、と言うだけあって、
立鉋で削るだけでははるかな道のりで、
研いだばかりの鉋刃も駆使しました。
これは削っている途中の様子ですが、結局足かけ2日かかりました。

台の側面も直角が出ていないだけでなく、中央が凹んでいるのがわかります。

さて、ここまで頑張って直した鉋ですが、
頼まれたまな板は、杉材をなぜか逆向きに2枚継いであるものでした。
そのため、父の一枚刃の鉋では逆目が起きてどうにもならず、
結局私の仕上げ鉋を貸すこととなりました。

「砥石は女房にも貸すな」ということわざがありますが、
本当は鉋もあまり人には貸したくないのですけれど、しょうがないです。
まな板は、表面をサンドペーパーで仕上げると、
木目が荒れて水切れが悪くなり、すぐにカビが生えたり腐ったりしますから、
やっぱり鉋で仕上げなければなりません。

と、あれだけえぐれていたおばちゃんのまな板、
最終的に厚みが2/3くらいになってしまいました。
鉋もまな板も、こまめに直すのが一番です。

2013年8月11日日曜日

茜と藍のその後

パソコンだけでなく、様々な用事が立て込み、
さらにこの暑さでへばっております。

さて、漆以外の植物はどうなったか?と申しますと、
藍は植えた場所が良くなかったからか、虫がついてしまい、
高崎の藍と比べても明らかに成長も良くありません。
これでは生葉染めにも全然足りません。残念。

しかし、虫が食ったところが青くなっているのはさすが藍!
と、変なところに感心しています。
来年はもう少しいい場所に植えないといけません。

西洋茜は元気で、どんどんと伸びています。

そして、蓼科の日本茜は、今年最初の猛暑で1度古い茎が枯れてしまった後、
根元からまた新しく芽が出て来ました。
少し日陰に植えてはいるのですが、水が足りないのかもしれません。
日本茜は這わさないで、支柱を立てて上に伸ばすようにしなければ
根が育たないとF先生に教えて頂きました。
また、挿し芽でよく着くということだったので、
その為にはなんとか今年頑張ってもらわないと。

ちなみに、浄法寺でもらってきた漆の種は、
今年も発芽しませんでした。
浄法寺式の、蒔いたら水をやらない方式では
土壌と気候が違うから駄目なのかもしれません。
来年は蒔いたらせっせと水やりをしなければ。

この暑さでも木賊はめちゃくちゃ元気です。
さすが、古生代から生き延びている植物は生命力が違うなと感心します。

2013年8月8日木曜日

鹿はかぶれない?

暑さのせいか、最近パソコンが暴走して言うことを聞いてくれず、
更新も滞っておりました。
そして、しばらく漆の木の様子もお伝えしておりませんでしたので、
久し振りにご報告です。

夏は父親が漆の木の下にスイカの苗を植え、
漆の木を支えにして鳥獣よけネットを張っているので、
私も近寄れません。

しかし、そんな父の工夫をものともせず、
深夜になると何かの動物がやってきて漆の葉っぱを食べて行くようです。 

傍に置いてある木の枝は新たに置いた動物よけです。
木の上の方が食べられているのがおわかりになるでしょうか?
で、肝心のスイカには全く手を出さないと(笑)
イチゴの葉っぱは食べるので、どういう好き嫌いなのか謎です。

数年前から鹿は出没しており、冬は幹に傷もつけられています。
漆の樹皮を食べているのか、角をこすっているのか。
冬は餌が少ないというのは理解できますが、
真夏に漆の葉っぱまで食べなければいけないとは、
相当餌に飢えているのか、山には他に食べるものがないのでしょうか?
それより何よりも、かぶれないんでしょうか?
実は漆の葉っぱはとても美味しいのかもしれません。

幸い、ネットの内側の木はやられていませんが、
数本は強風で上の方が折れてしまいました。
下の方の枝が全くないのは、父親が背丈を伸ばすためにと
全部切ってしまうからなのですが、
(何度も止めてくれと言っても全く聞いてくれないのです)
暴風雨時にはやはりひょろ長いと折れても当然という感じがします。
左奥の木は1度折れてからまた新しく伸びてきたのですが、
他と比べるとひょろ長いです。

ネットの外側の木はなんとか触れます。

葉っぱも大きく元気です。

画面の中央から下が去年までの幹で、上の緑色部分が、今年伸びた部分です。
一年でこんなに太くなり、生育旺盛です。

 新芽の部分です。
まだ若葉が出て来るようです。